4月になり気持ちもすがすがしい気分です。
さて、前回登りました馬ヶ岳から御所ヶ岳を再び訪れました。
苅田アルプスで知りあったW氏がまだ登ったことがないとのことで同行した次第です。
馬ケ岳標高 216m
御所ヶ岳標高 246.9m
馬ヶ岳城登山口(大谷登山口)➡堀切➡土塁➡竪堀➡二ノ丸➡本丸
この後、御所ヶ岳➡御所ヶ谷かみ
●馬ヶ岳
天正14年(1586年)、天下統一をまざす豊臣秀吉氏は、停船命令に従わない島津氏の討伐を決定。
黒田官兵衛氏を軍奉行とした部隊を九州に送ります。
当時馬ヶ岳城主であった長野三郎左衛門が秀吉方に服属したことから、馬ヶ岳城は秀吉氏の勢力下に入りました。
翌年3月28日には秀吉氏はみずから遠征軍を率い九州に上陸。
29日に馬ヶ岳城に入りました。
馬ヶ岳城では軍議が開かれ、秀吉氏本隊の初戦となる岩白城(がんじゃく)【添田町】攻略戦が強行策に決定したと記す史記もあります。
岩白城は堅城として知られていましたが、猛攻によりわずか1日で陥落し、その後の秀吉氏軍の進撃の端緒となりました。
同年5月下旬には島津氏が降伏し、秀吉氏の九州平定は完了しました。
▲山頂にて思うこと。
豊臣秀吉氏率いる軍勢ではこの麓から山頂までは当然収容しきれない数であったと思います。
島津氏征伐を最大の目的としていましたので、何万人、いや何十万人の兵員数であったと思います
山頂まで行かれない兵員は現在の行橋市付近で待機していたと想像します。
兵員数もさることながら食料も相当な規模であった筈でどうして調達したのだろうと考えるのです。
さらに山頂から見下ろす田園では秀吉軍の軍馬、軍旗、兵員で埋め尽くされたいたと思います。
山頂から見るそれは真っ黒だったのでは。
「太閤岩」「官兵衛岩」と名づけられた横50cm、縦60cmの座り心地のいい岩があります。
当人達がこれに座る所を見た訳ではありませんが、周りには岩はなく、当然この岩に座ったのであろうと想像するのです。
豊臣秀吉氏になった目で眼下を見下ろし、大きく息を吸う。
これまたいいものです。
「4月になり気持ちもすがすがしい気分です。」いいですね!