
「ヒネ」 ?
ヒネって知っていますか?
ーーーーーーーーーーーーーー
私の産まれた田舎は鹿児島市から車で約35分。
小学校までは7~8分。
近いから朝寝坊しても十分間に合い、
遠くから来る生徒の足音を時計代わりに聞いて起きていました。
田舎の中心地で農協(JA)あり製材所あり、商店は3つ、それに駐在所もあり、昼間は人通りも結構ありました。
駐在所は伊集院(いじゅういん)警察署、現日置市管轄。
夜になると辺りは真っ暗闇。
田舎の夜は人通りは少なく、駐在所の赤い電灯だけが夕方から朝まで輝き、小さいながら安心感を覚えていたことを今でもはっきり覚えています。
駐在所にはおまわりさんの御家族が住んでいました。
5円拾って駐在所のおまわりさんに届けると、「感心じやがぁ~」と頭を撫でてくれました。
すると「こん5円はおじさんのお金だから君にあげるよ」
と、おまわりさんが自分のサイフから5円出したくれたのです。
駐在所は家からも近く挨拶もしていました。
駐在所には男の子がいてよく走り回つていました。
チョロチョロと元気一杯。
その駐在所の子。
後年、姉から聞いたこと。
「知っているか。ほら駐在所にいたおとこん子(男の子)。
歌手の長渕剛(ながぶち つよし)、長渕剛さんよ」
その時は名前にピンと来なかった事は事実。
名前をほんの少し記憶に残しているうちにヒット曲が、あれま、あれまという間に出ました。
その後、桜島で夏の暑い夜長渕剛さんのコンサートがあり全国から凄い数のファンが集まりました。
一晩中~朝の6:00ごろまで音楽が響き、対岸の鹿児島市まで揺さぶっていました。
あの時の子、長渕剛さんかぁ~。
一晩中音量で揺さぶられましたが、気持ちは弾んでいました。
現在はシンガーソングライター、俳優として活躍していますね。
私が高校生になった頃、回りの田舎の気かん坊(1~2つ上)の悪の手(と言ってもワルじゃなく=暖かい心の持ち主)が誘いに来ていました。
まだ学生なのに大人の真似をする年頃。
10人ぐらい集まり、悪ふざけで煙草を噴かし、飲めない焼酎をほんの少し飲み、口調もそれなりの悪口調。
集まって大声出し、下手な歌を唄うからやかましい。
回りの家の事なんか気にしない。
おまわりさんがすっ飛んで来て凄い剣幕で怒られました。
ほとんどの親も連れ出され平謝り!
その時に知った言葉が、「ヒネ」。
最初聞いたときは意味がわからず、アンチャン達に聞きました。
なんの事はない。
おまわりさんをヒネと呼んでいたのです。
アンチャン達は言葉もアンチャン言葉で気取っていたのです。
ーーーーーーーーーーーー
私が高校生2年の夏休みの夜、吹上浜に注ぐ川まで魚採りに出かけました。
海は鼻の先。
。吹上浜は日本三大砂丘の一つ
。東シナ海に面し綺麗な砂浜が遙か彼
方まで続きます
。北朝鮮の工作員による日本人が拉致
された現場
近所の一つ下の男の子を誘いました。
吹上浜の夜の魚採りはカーバイドは欠かせません。
カーバイドの淡い炎🔥に魚が吸い寄せられ集まってくるのです。
海が近いから名の知れない魚が足まで突き当たるのです。
沢山の魚に意気揚々。
まてよ。
帰りはどうしようか?
ここまで来るのにおまわりさんに合わなかったこ。
そうです。
免許違反。
50ccのバイクは一人乗りが決まり。
今更どうしようもなく、来た時と同じように二人乗り。
家まて15kmまで来た時、夜回り中のおまわりさんに見つかったのです。
謝り、謝る。
すると「君は🔵🔵さん所の息子さんじやなあ~。
今回は許すって。
そん代わい押して帰んやあい」
ホットしました。
私はおまわりさんはよく知っており挨拶もしていました。
15kmの田舎道、砂利道をひたすらにバイクを押して帰り着きました。
クタクタ、汗びっしょり。
豊漁の喜びもオジヤゃン!
一緒に行った近所の男の子。
「🔵🔵ちゃんは、やっぱい真面目じゃいなぁ~~」